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被災地の災害支援とこれからの課題 ~東日本大震災の活動をふり返って~

日本歯科医師会会長 大久保満男先生

日本歯科医師会会長 大久保満男先生

木. 27 9月 2012

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去る8月28日,香港で開催されたFDI(世界歯科連盟)100周年記念大会の開催前夜に日本歯科医師会(以下、日歯)が主催したJapan Industry Nightで,大久保満男会長が「東日本大震災における歯科医師の活動状況」と題する報告を行い,世界から参集した歯科医師および関係者に深い感銘を与えた。Dental Tribune International(DTI)は,1年半前に日本で起きた大災害と,現地で救援に当たった日本歯科医師会並びに日本の歯科医師・関係者の活動について報告する。

≪観測史上最大の災害≫
2011年3月11日14時46分,日本の観測史上最大のマグニチュード(Mw)9.0の地震が東日本を襲った。津波を伴ったこの災害の死者は15,870人,行方不明者2,814人(警視庁緊急災害警備本部広報資料2012年7月11日付),合計で18,684人が被災する巨大災害となった。また,地震・津波に被災した福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質の拡散などの問題は,今も解決の目途さえ立たず,日本社会に暗雲を垂れ込めている。
この地震によって発生した津波の高さは,16.7mと報告されているが(図1:「主な調査地点における津波の痕跡から推定した津波の高さ」),地域によっては,20mを上回る津波が押し寄せ甚大な被害が発生した。

図1:(注:この図は,外国人には意味が分からないので,地震の被害・津波の巨大な涛などに差し替えた方が?)

 

この災害は,「生か死か」の2つの被害に分かれていることが特徴的といえる。これまでの震災では,建築物が倒壊しても生命に支障がないケースや,負傷あるいは重症で生死をさまよいながらでも,多くの人々が死に至ることは少なかった。

ところが,東日本大震災は沿岸地域においては津波によって想像を絶する多数の方々が命を落とす結果となった。

≪もっとも貢献した身元確認は歯科医師だった≫
警察庁は,「検視等済み死体数」が15,799人と発表している。そのうち,歯科医師がデンタルチャートを取った総数は,8,719人となっている(図2:「東日本大震災における検視済み死体の歯科情報を記録したデンタルチャートの件数」)。

外形,外観から個人の特定が困難な8,719人のうち,歯科医師がデンタルチャートを取って生前記録と比較した結果1,204人の身元を確認した。
特定困難の総数8,719人のうち14%に満たない身元特定率ではある。しかし,津波によって病院・歯科医院などが破壊され,多くのカルテが流出したため,身元特定が少ないのはやむを得なかった。

 一方で,DNA鑑定や指紋鑑定による個人特定は,デンタルチャートの特定数よりもずっと低かったというので,歯科医師の貢献が大きかったことは疑いようのない事実であった。

図2
(注:図の下半分は不要?)

 

 

 

 

≪現地で困難を乗り越えるメッセージ≫
災害の直後から,東北地方が津波に襲われる映像が繰り返しテレビで放映されていた。逃げ惑う人びとの姿が繰り返し放映されたため,多くの日本人の心を痛め,被害の大きさに驚愕した。

「とんでもないことになりそうだ,死者が2万人を超えるかも知れない」
地震の翌日,政府高官から連絡が入った。

日本歯科医師会(以下,日歯)は,直ちに全国の歯科医師会に被災地の救援活動の体制をとるために,協力者リストの作成を依頼するFaxを入れた。Faxを送信した後2日間で1,200人のリストが集まった。全国の歯科医師会から,迅速な協力を得ることができた。この時,「組織の力」というものをまざまざと感じた。

「この地区に何名の歯科医師を派遣してほしい」
このような警察の要請があってから,その指定地区にその人数を派遣することになる。現地の身元確認作業は警察行政であるためだ。

 私は,身元確認作業に被災地へ赴く歯科医師にメッセージを送る必要性を感じ,3つのメッセージを送った(図3「身元確認作業にあたってのメッセージ」)。
支援活動に赴く歯科医師に対して,津波でカルテが流出して,ご遺体の身元確認が困難を極め,絶望的な気持ちを抱くことがあっても,自分に与えられた任務が重大な意味を持っていることを決して忘れないで欲しいと伝えたかった
「千体のご遺体のうち,一体でも身元確認できるならば,それが歯科医師の責務だと覚悟してほしい。」
これが,困難を乗り越えるために伝えたかった私のメッセージだった,と大久保会長は当時を振り返って言う。

図3 防潮堤を超える黒い津波(注:この写真がない?これを冒頭の図に?)

 

 

 

 

図4 高さ10mの防潮堤も決壊した(岩手県宮古市)

図5 岩手県釜石市繁華街
マーキングはご遺体場所

図6 宮城県南三陸町
津波に寄せられた自動車が集合住宅の屋上に乗ったままの自動車

図7 津波に襲われる町(注:この写真の説明を追加?写真中央の歯科医院,車に関する説明?)

 

≪惨状のなかで職責の決意≫
この災害でもっとも多くの死亡者を出したのが宮城県石巻市である。石巻市の死亡者は3,200人を超える。この数は,東日本大震災の死亡者のおよそ17%に当たる。

付近のご遺体を収容する場所となった石巻青果市場は,場内を養生シートで覆い,およそ400体のご遺体が整然と並べられた(図7 旧石巻青果市場)。このほか,場内後方に300体と,外のトラックにおよそ300体。合わせて1,000体が1日で運ばれ,3日ほどこの状態が続いた(図8)。

身元確認作業では,緊急時で検視台がなく,一体一体ひざまずいて口中を懐中電灯で照らして確認しなければならなかった(図9)。

ある若い歯科医師が身元確認作業にはじめて赴いたとき,遺体安置所の入口前に一旦立ち止まり,深呼吸で緊張をほぐした。
若い歯科医師は,ご遺体は「泥だらけで悲惨な状況」と思い,ある種の覚悟を決めていた。このような「悲惨な状況」は検視作業では当たり前のことだ。
ところが,仮設の遺体安置所のご遺体は,警察官が身体をきれいに洗浄していたため,泥はまったく付いていなかった。
それどころか,髪まできれいに梳いてあったという。
彼はそれらを見た瞬間に,ご遺体を丁重に扱って運んだ警察官の仕事に胸を打たれた。不幸にして命を落とした方々を尊重しながら丁寧に運んでいるその姿を思い浮かべ,若き歯科医師は,改めて自分も歯科医師としての職責を立派に果たそうと決意したという。

このほかにも,「亡くなった方々に報いるためにも,立派な歯科医師として,しっかりと生きていきたい」という声が数多く寄せられている。
たくさんの歯科医師が被災地に出向いて,それぞれが自分の人生や,歯科の役割を振り返る機会になった。

 

 

 

図7 旧石巻青果市場

図8 ご遺体が旧石巻青果市場に安置された

・未承認(掲載折渉中)

図9 ご遺体を検視する歯科医師

・未承諾(掲載交渉中)

 

 

 

 

≪突きつけられた最大の課題≫

1995年(平成7年)に発生した阪神淡路大震災のあと,肺炎の死亡率が突出した。その翌年,翌々年は,肺炎の死亡数は元の数値に戻っている(図10)。
図10

このデータから,被災者の口腔内の衛生環境を保つことが重要で,歯科医師による被災時の口腔ケアの実施が課題として挙がっていた。
ところが,今回の災害では,津波によって家族が行方不明になり茫然自失の状況のなかで,初対面の歯科医師が「入れ歯を洗います」と言っても,被災者はそれに応じられるような状況ではなかった。

このような精神状態のなかで,どのようなアプローチで被災者と接するかが大きな課題だった。それには,被災者の心痛を自分の思いとして受け止めたうえでコミュニケーションをとることが重要であり,機械的に口腔ケアを行えば解決する状況ではなかった。この教訓をどう学び,どう生かすことができるだろうか。

これまでの口腔ケアは,地域の患者さんを対象に地域完結型で口腔ケアを行ってきた。しかし,非常時には,被災者の心を理解したうえで接触することが求められる。この心とコミュニケーション力をどのように身につけるかが大切な課題となる。

 日歯は,この災害が発生した直後,被災地におくる支援物質として,26万本の歯ブラシや義歯洗浄剤や修理材料,医薬品などのトラック5台分ほどの手配と準備を終えていた。しかし,被災地に向かう道路が遮断されていて救急車両しか通行できない状況だった。ようやく2週間ほど経過して支給できる有様だった。

 このようなさまざまな経験から,巨大災害に対し歯科医師会の体制をどのように整備していくか,そして,歴史の教訓として子々孫々に伝えていくか,

この災害によって,歯科医師会に突きつけられた最大の課題である。

 

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